園内施設について
約1万坪という広大な敷地内に、関ケ原合戦の陣形図を凝縮して再現した実物大のジオラマ。旗指物や陣幕まで忠実に再現し、各武将たちの配置を確認できます。有名な逸話シーンの再現もあり、経過ごとにまわると合戦がどのように変化したのかわかるようになっています。
SNSよくでる落馬した侍
撮影者に人気の鉄砲隊
家康は後ろから見ると〇の尾が生えているように見えます
東海珍スポットの父?! 浅野祥雲とは
日本のコンクリート像作家。本名は、浅野高次郎。岐阜県恵那郡坂本村(現中津川市)出身。昭和初期から40年代にかけて、無数のコンクリート人形を制作。2m近い像が数十体、数百体と林立する施設も数々あり、等身大ジオラマパークと いう独特の作風を確立しました。父親は農業の傍ら土人形を制作する職人で、父親の影響をうけ人形制作を始めます。しかし土では大きな作品がつくれないこと から当時最新の素材であったコンクリートでの制作を試みはじめます。33歳のとき名古屋に移住し、 映画館の看板を描いて生計を立てながら等身大のコンクリートによる塑像という独特の制作スタイルを打ち立てます。作品の多くは屋外の仏像や鎮魂のための慰霊碑などで、仏師なのか芸術家なのか論議がわかれますが、一般的にはコンクリートの造形作家と扱われています。
巨大パネル
手作りのパネル展示です。戦後の石高の変化や報奨額、地元のその後など、館長ならではの内容が書かれています。
※イベント期間中は見づらい場合がございます。
関ケ原合戦図屏風
関ヶ原の戦いにおいて勝敗が決した午後の戦況です。井伊家の軍勢が西軍の島津隊を追走する場面を描いています。
※イベント期間中は見づらい場合がございます。
ノーモア関ケ原
なぜ関ケ原合戦に参加していない「武田信玄像」がここにあるのか?よく質問される内容です。
実は、この信玄像は亡霊という設定で作られました。
関ケ原合戦がおこる27年前、三方ケ原の戦いで徳川家康は武田信玄に大敗しています。一説には当時の自分を三成と信玄に見立て、関ケ原で再現したといわれているのです。その信玄に前会長・谷口玉泉氏の唱えた『ノーモア関ケ原』を持たせることで愚かな戦争は止めるべきだと訴えたかったのでしょう。